雑誌原稿を書き慣れてついた『悪いクセ』、そして補正。
最近お仕事しているクライアントの中に、新聞記者の経験がある担当者がいます。
普段なら面倒な書き直しも、この人が言う事が的確なので、
こちらとしては「そうやんな~」と納得して、コチコチ書き直しています。
そんな原稿のやり取りを1カ月ばかりつづけて、自然と身についていた
悪いクセを見つけました。
病気と同じく、悪いクセは早期発見が大切です。
◆シャープに突かれて、原稿修正。
書き手が言うのも何ですが、大抵のクライアントは
- まとまった文章になっている
- 文章を読めば、流れができている事がわかる
- 前置きおよび結論部分の表現が、ちょっとイイ感じになっている
という形であれば、ほぼOKを出してくれます。
クライアントの立場からすれば、そこが難しいから依頼する訳で、
ニュアンスや表現といった細かな部分は、
一旦形になってからじっくりと直せばいいと思われていると、私は理解しています。
ニュアンスや表現といった細かな部分は、
一旦形になってからじっくりと直せばいいと思われていると、私は理解しています。
ところがこの担当者、さすが新聞記者らしく
文章の論点がダブっていたり、ボヤけていたりすると
文章の論点がダブっていたり、ボヤけていたりすると
シャープに突いてきます。
また、前置詞や指示語なども、極力省くよう指摘します。
また、前置詞や指示語なども、極力省くよう指摘します。
◆違うのは「文章の存在意義」
新聞、雑誌、ビジネス文書、書籍、ウェブページ、SNS・・・
ライターが関わる媒体はいろいろですが、
ライターが関わる媒体はいろいろですが、
ここで使われる文章には、それぞれ違いがあります。
その解説は省きますが、違いの一つとして
その解説は省きますが、違いの一つとして
「存在意義」というものも含まれてくると、私は考えています。
新聞に掲載された文章は、「情報を伝達するため」に存在します。
それは他の媒体も同じでしょうが、それだけではありません。
今回比較したい雑誌なら、もう一つ
それは他の媒体も同じでしょうが、それだけではありません。
今回比較したい雑誌なら、もう一つ
「デザイン」という点でも、存在意義があるといえます。
読者の目を引くようレイアウトされたページにおいては、
文章も重要なデザインの1要素。
縦なのか、横なのか、1行あたりは何文字だと美しいのか・・・
これは、文章に含まれる情報量よりも、読みやすさよりも重要視されますから、
取材や情報収集の度合い、また使用する専門用語とその解説の有無によって、
中身の濃さや情報量は、大きく変わってくるんですね。
中身の濃さや情報量は、大きく変わってくるんですね。
私も雑誌原稿の書き方にずいぶん慣れて、
ある程度膨らませたり、補足情報を付加したりして、
ある程度膨らませたり、補足情報を付加したりして、
求められる文字数で原稿を書けるようになりました。
これは大事な能力なんですが、
これは大事な能力なんですが、
油断すると、悪いクセを助長してしまうもの。
文字数を合わせる事を優先する故に、
文字数を合わせる事を優先する故に、
情報量が過不足した文章になったり、
論点のシャープさが失われた文章になったりするんです。
このクセに気づかず書き慣れていくと、
書籍やエッセイものなどの長文を書いた時に、
「結局ナニが言いたいの?」という文章を書いてしまう事になります。
論点のシャープさが失われた文章になったりするんです。
このクセに気づかず書き慣れていくと、
書籍やエッセイものなどの長文を書いた時に、
「結局ナニが言いたいの?」という文章を書いてしまう事になります。
まあ、このタイミングで、私はいい仕事と出会えました。
(すごい大変ですが)とてもラッキーです。
そして、私のライター人生においてポイントとなるでしょうね。
(すごい大変ですが)とてもラッキーです。
そして、私のライター人生においてポイントとなるでしょうね。
もうしばらく仕事が継続するんですが、せっかくですから
思いっきり書いて、存分にご指摘をいただこうと考えている次第です。
―残り7年と122日―