『40歳の壁』を書け上がる!~30代フリー書籍編集者小田の戦術ノート~

ライターの多くがぶつかる『40歳の壁』。ライターから書籍編集者へとシフトしながら壁を駆け(書け)上がる30代の生き様を綴ります。

宮崎駿監督の名言(130826NHKから)

8月26日放送のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」を観て、文筆業の自分として書きとどめたいと思った名言をまとめました。

 

アニメーション映画をヒーヒー言いながら作っていられたという幸運な人生だと思うしかないんだ。同じ事はもう起こらない。

 

ああ、飯は食わなきゃいけないし、面倒くさいな、もう。

 

自分がやりたいからって体が動くわけないし、頭が動くわけじゃない。かといって前やってきたことをやりたいと思ってないから。もっと技術的にややこしいことやもっと仕立て方が俗受けしないことが分かってもやるっていうようなことに傾く年齢なんだよ。老監督って、みんなそうじゃない?
 
映画になるかならないかっていうのは、やればやるほどクラクラするくらい難しい。

 

どうしてこの映画はややこしいかっていう理由ならいくらでも書けるんだけど、結局自分が作りたいから作るっていうしか理由がないんだよ。
 
だから今まで自分がもってきたさ、法則というか方程式がね、しょっちゅう壊れてるけど
今度はもうつじつまが合わないほど、壊れることになる。
ふふふふ、なんという面倒くさい映画だ。
 
群衆というのはどういうものかっていったら、主人公じゃない情けない人たちじゃなくて、ちゃんと世の中を支えてる人たちだから、ちゃんとした人間たちを描くこと。
 
面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。
 
世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ。面倒くさくないとこで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです。
 
ひとつだけ良い、これが正しいって答えがあるはずだ。それを嗅ぎつけるしかない。最善の策を。
 
「神様、本当にこれが正しいのか、正しくないのか、教えてくれませんかね?」って。
「こんなカット割りでいいんでしょうか?」
「好きにやんなさい」
「いや、そんな」って。面白いでしょう?

 

こんなヘンテコなモチーフで作品を作るチャンスが、天から降りて来たんだって思ってるから、
これは膝を折ったら申し訳ないと思ってる。何に対してか分からないけど。
すごい幸運だと思ってる。
 
だから客なんか入んなくたっていいんだって言えるかというと、ちょっとまって、と。
臆病な自分もちゃんといるからね。そう簡単には言えないんですよ。

 

語らせるのではなく、撮み(よみ)取るべし。かくされた絶望の深淵をこそ、キロクせよ。
 
映画ってね、作ってないと寂しくなるんだよ。作りたくなるんだ。作れるような気がするの。
やっていくと要求された過重な負担に、耐えがたくなるんですよ。
 
なんか突然、時間をかけてやる意味が出てきた。
 
時代というのは選択できない。選択できないんです。今の自分たちと同じですよ。

 

やっていることの意味なんて分かんないの。作っているときはわかんない。
意味を考えて作っているんじゃない。

 

人が生きていくっていう、力を尽くして生きなさいっていうね、
堪る(たふる)限りの力を尽くして生きなさいって
自分たちに与えられた、自分たちの範囲で、自分たちの時代に、堪る限り力を尽くして生きるしかないんです。
 

しみじみしてないよ。一寸先は闇でやってんだからね。