【原稿】誤りを文章上達のチカラにする3つの質問
完璧な文章などといったものは存在しない。ご存じの人も多いでしょうが、作家・村上春樹氏が作品に書いた一節です。
たとえ歴史に名を刻むような作家であっても、
書き上げたばかりの原稿には、必ず「朱」が入る箇所、つまり誤りが出てきます。
それは、完璧な文章というものが、書き手自身も時々刻々と変化する性質であり、
さらには読者ごとにも認識が異なるからです。
文章を読み返し、誤りを直す校正作業。まさに終わりなき戦いですね。
だから、一喜一憂する事はないのですが、
かといって、「いくら書いても、毎回誤りだらけ」の原稿を綴る書き手に、
仕事をずっとお願いするほど、社会は甘くない。
一つ一つの誤りを、いかにして文章上達のチカラにするか。
それを見極める3つの質問を考えました。
◆「朱」=誤りを見極める3つの質問
1,その「朱」は自分が全力を出した箇所か。
原稿に入った朱を検証すると、次の2つに大別できます。
- A:書き手は納得しているが、読み手が違和感をもった箇所
- B:書き手自身も誤りを認める箇所、ミス
Aの場合なら、クヨクヨ考える事はありません。
よほど個性的な書き手でない限り、大部分の読み手には受け入れられます。
問題なのはB。これは自身の怠慢です。
原稿を出す直前に、キチンと見直したかどうか。
振り返って反省し、行動を改めることが上達につながります。
よほど個性的な書き手でない限り、大部分の読み手には受け入れられます。
問題なのはB。これは自身の怠慢です。
原稿を出す直前に、キチンと見直したかどうか。
振り返って反省し、行動を改めることが上達につながります。
2,日ごろの鍛錬は不足していないか。
日ごろの鍛錬。それは、本を読む事です。
古今東西、あらゆる書き手に共通して言えるのは、
読書しない書き手に上達はないということでしょう。
読書しない書き手に上達はないということでしょう。
もちろん、文章を書くための基礎的な訓練は必要であり、
それは読書だけでは身につきません。
が、ある程度書けるようになり、腕を磨く段階に入れば、
あとは量を読んで、語彙力をつけていくことが重要です。
先の問いでAだったとしても、
書き手側が知っている表現の選択肢が多ければ、
もっと適切な表現を綴る事ができるかも知れません。
より多くの文章に触れて、学ぶ。その作業に終わりはありません。
が、ある程度書けるようになり、腕を磨く段階に入れば、
あとは量を読んで、語彙力をつけていくことが重要です。
先の問いでAだったとしても、
書き手側が知っている表現の選択肢が多ければ、
もっと適切な表現を綴る事ができるかも知れません。
より多くの文章に触れて、学ぶ。その作業に終わりはありません。
3,指摘した相手を言い負かす自信があるか。
たとえ請け負った仕事であろうと、
朱を入れ誤りを指摘した相手、この場合なら編集やクライアントが絶対正しく、
朱を入れ誤りを指摘した相手、この場合なら編集やクライアントが絶対正しく、
書き手が服従しなければならないというものではありません。
自分が全力を出して書き上げたといえる原稿であり、
それが、朱を入れた相手であっても言い負かすだけの自信があるなら、
朱に一喜一憂せず、堂々と次の原稿を書けばいい。
朱に一喜一憂せず、堂々と次の原稿を書けばいい。
もちろん、仕事ならばお客さんの立場も考えて当然ですから、
妥協する事も必要になるでしょう。
それでも、一旦は自分が納得できる文章を綴る事こそ、
書き手が果たすべき役割だと、私は考えます。
まず1,2,を検証し、その上で3だと言い切れる原稿を綴っていく。
この連続作業によって、文章の腕は磨かれていく。
私はそう考えて、何かある度に自身の原稿を読み返しています。
―残り7年と95日―
この連続作業によって、文章の腕は磨かれていく。
私はそう考えて、何かある度に自身の原稿を読み返しています。
―残り7年と95日―