『40歳の壁』を書け上がる!~30代フリー書籍編集者小田の戦術ノート~

ライターの多くがぶつかる『40歳の壁』。ライターから書籍編集者へとシフトしながら壁を駆け(書け)上がる30代の生き様を綴ります。

ネガティブな詮索は信じないと決めた。

※5-16修正:文調を変えました。
 
私は「相手の心を詮索して、次の行動を決める」癖があります。
 
言い換えればこの癖は「相手の空気を読んで行動する」ことであり、問題ではないように感じられるかも知れません。しかしながら、困った事にこの詮索が正しいとは、必ずしもいえないのです。そのため、
・相手が怒っているだろうから、声をかけない
・それほど相手は期待していないだろうから、自分から行動を起こさない
・もしかしたら相手が嫌な気持ちになるかも知れないから、あえて言わない
など、ネガティブな詮索に関しては信じない事に決めました。

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◆つまりは「自分が勝手に決め込んでいる」だけ

 
私は心理学について無知ですが、おそらくこの癖の背景には「コンプレックス」や「承認欲求」があると感じています。

記者時代は会社員として雇用されており、一緒に仕事をする相手も他部署の同僚や会社同士でつながりがある方ばかりでした。だから、それほど相手を詮索しなくとも、淡々と会社の業務をこなしていくだけで良かったのです。
 
対してフリーランスになってからは、あらゆる相手との信用関係が生活に直結する訳で、それなりに自分も相手との関係構築に気を遣ってきました。それが過度になってしまうと、どうも不安感が大きくなるようで、必要以上にネガティブな詮索をするということがありました。
 
相手の空気を読む。相手の顔色をうかがう。
実に聞こえの良い言葉ですが、これは相手の心中を正確に把握できている場合です。勝手な詮索で「相手はこう思っている」と勝手に認識してしまえば、双方にとって何もメリットが生まれません。
 
また、自分の心理状態にも比例する傾向が強く、自身に不安や恐れがあるとネガティブな詮索になりがちです。そんな時に相手がどうだこうだと考え、一喜一憂することは、あまりにも無意味です。そして、これによって行動が封じ込められ、発するべき言葉や感情が伝えられないということのデメリットを考える時、心から「この癖を辞めよう」という後悔の念が、波のように押し寄せてきました。
 

◆子どもから学んだ「勇気」

 
話は変わりますが、この春から私の息子が小学校へ通い始めました。同じクラスには以前からの知り合いがなく、ほかの生徒も多くが同様の状態でした。まだ幼いこともあり、なかなかコミュニケーションを上手に取ることができずケンカをしてしまうということも多くありました。
 
親としては本当に心配です。ケンカの話を聞く度に心を痛めました。
でも、今ではその心配も無用となっているのです。実はその後、あれほどケンカをしていた相手と仲良くなったのだそう。これには正直驚きました。
 
子どもにとっては、「相手がこう思っている」という詮索よりも「友達になりたい」「一緒に遊びたい」という心が勝っているようです。何があってもストレートに想いをぶつけられる実直さは、大人の私が学ぶべきところです。
 
大人であれば、先の通り勝手に相手の心中を詮索し、相手と距離を置いたり、相手へのアクションを避けてしまうでしょう。そして、これを乗り越えるには、失敗を恐れない「勇気」が必要です。私も33歳になって恥ずかしい話ですが、この勇気が少々足りないのだと素直に反省しました。
 
普段なにげなく話すひとり、何かしらの縁があって関わるようになった相手には、決してネガティブな詮索をせず、真正面からつきあってみよう。これが最近思っていることです。人生に変化を起こすには、毎日の生活を変化させるしかない。考えや行動を変えるしかない。それはこれまでの私における経験則です。今回の事も、その一つ。これまでと考え方を変えることで、きっと新しい出会いがあると期待して、前に進んでいこうと思います。