『40歳の壁』を書け上がる!~30代フリー書籍編集者小田の戦術ノート~

ライターの多くがぶつかる『40歳の壁』。ライターから書籍編集者へとシフトしながら壁を駆け(書け)上がる30代の生き様を綴ります。

「働くこと」に対する私感

なかなか忙しい毎日を送っているが、先日妻と久しぶりに子育て以外の話題で長話をした。
テーマは「働くこと」。お金以外の理由で、なぜ働くのかという理由を語り合った。
 
今日もテイストは固めだが、ありのままに綴ることにした。

 

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◆最後に残るのは生への執着

 
いまはフリーランスで物書きをしている私だが、会社員時代には「フリーランスなんて、家族を養える訳がない!」と思い込んでいた。突如として会社を辞めた私だが、正直に打ち明けると次の転職先を探そうと考えていたのだ。
 
それはそれは、必死だった。人脈を総当たりして、募集していない会社であっても「話を聞いて欲しい」とかけ合った。しかし、何社当たっても良い返事が聞こえてこない。そこまで来て、ようやく諦めがついた。そもそもこの時期に病気をしていた私は、その治療に専念することにしたのだった。
 
さて、現在では仕事も随分安定してきた私だが、そこまでの道のりは本当に苦しかった。自分で言うものではないだろうし、詳細は記さない。ただ、苦しくてつらい毎日だった。そんな背景があると、誰もが「たどり着いた現在の状況を失いたくない」と思うところ。私も本音では、少しばかりこの気持ちがある。しかしながら、それほど強くないというのも、心の片隅には存在する。
 
ひとつ例を挙げて考えてみたい。
ライターは
・人の話が聞ける
・膨大な資料群から、必要なものを見つけ出して整理する
・結論をわかりやすく表現し、ストーリーを組み立てる
・テキストデータとして入力する
などが最低限必要な能力だ。これができなければ、ライターとして生きていけない。
 
だが、人間が生きていく上では「予期せぬ事態」に遭遇することは、ままある。
事故にあったり、体に障害が生じたり。
上記の能力も、目が見えない、耳が聞こえないとなれば苦しいものがあるだろう。そして、脳にダメージがあって文章が書けなくなれば、どうしようもなくなるだろう。
これは、自分も含めた万人に共通するリスクである。
 
そうなったら、自分はどうするか。自ら命を絶つのか。答えはNOである。
これは個人によって考え方が様々であるから、持論を正当化することはしたくない。
あくまで私の場合だが、間違いなく最後に残る一点は「生への執着」であろう。ここだけはブレがないし、今後もブレることは確実にない。
 

◆社会に於ける「果たすべき役割」

 
妻との会話に戻そう。
お金以外の理由で働く理由は、誰か一人の役に立つという役割が存在するからである。
 
こちらも詳細は省くが、自分が社会に出る過程においては数多くの方の助けがあった。それはお金であったり、考え方であったりと様々だが、少なくとも出会った人のうち一人でも欠けていたならば、今の自分はないと断言できる。
 
私は人に恵まれていると、つくづく思う。私を助けてくれた人は皆、見返りや自身のメリットを前提にせず手を差し伸べてくれた。この行動の背景にある理由を考える時、私は「誰か一人の役に立つ」という点が共通していると信じている。つまり、社会を構成する一人一人が、社会に於ける果たすべき役割を(認知しているかどうかに関わらず)果たしている。その証の一つとして、私の人生があるように感じてならない。
 
そう考えれば、先のようなリスクによって、自らが今のまま働けないという状況に襲われたとしても、中身を変えてでも果たすべき役割を考え、そのために生きていかねばなるまい。
 
          *
ちなみに、私は以前「手相がわかるよ」という人に見てもらったことがある。私自身はあまり信じていないが、「50~60歳で、今の人生とは全く違うことをしている」そうだ。これが本当なら、ライター人生も残り20年ほどということになるが、どうなのか。ただ、その方は「手相は毎日変わりますから」とも。なんとも結論が出しがたいが、想像できないならば危惧するよりも楽しむべきであろう。