『40歳の壁』を書け上がる!~30代フリー書籍編集者小田の戦術ノート~

ライターの多くがぶつかる『40歳の壁』。ライターから書籍編集者へとシフトしながら壁を駆け(書け)上がる30代の生き様を綴ります。

あと1要素を加えられたら、ライター消滅の『可能性』がある

体感的にではありますが、
ブログやSNSなど、日常的に文章を綴って自己表現される方が増えているな、と
最近よく思います。そして、みなさん文章がお上手です。

もちろん、そのままでは使えない文章も多いのが現状ですが、
その違いは、何かしらの1要素のみ。
これが加わると、
ライターという職業は不必要になる「可能性」があると、ふと思った次第です。
 

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◆加えるべき1要素とは?

ネット上に散見される文章は、すべて書き手が違いますから、
加えるべき1要素は、それぞれ違います。

ただ、パターンとして見ていくと
 ・物事の経緯、背景、結論に至る論理展開、付け加えるべき情報の過不足
 ・話し言葉で綴るがゆえの間違い、読みづらさの問題
 ・読者を特定しないネット、特定する媒体との使う言葉の違い
など、
共通点はいくつかあると思います。

これをどうこう言えるほど、私は体系化してお話できませんが、
毎日何千、何万もの文字を打ちつづけて、かれこれ10年経ちますから、
感覚的に上記の点を踏まえた文章が書けるようにはなりました。
それで「ものを書いてごはんを食べる」ライター業ができています。

 
ただ、上記の点などを含め、
人間は経験を積まないと良い文章が書けないか
というと、決してそうではありません。
たまたま書いた文章が名文ということは、当然あり得ます。
また、これはライター以外の方によくお伝えするのですが、
何度も見直したり、自分以外の方に見てもらったりと、注意することで
確実に文章の質が良くなるものだと、私は思っています。
 
ということで、
ものを書く人が増え、さらに良質な文章を発信されることが増えていくと、
「わざわざ費用を支払ってライターを使わなくてもいい」という可能性は出てくるというものです。
 
 

◆文章のクオリティ以外で生きのこるしかない。

 
私はもともとネガティブな性格で、この辺の危機感をかなり前から持っていました。
だから、インタビュー原稿など編集要素が必要な原稿、
書籍や社史など長文の原稿を執筆する方向へシフトしてきました。
文章が自動的に生成される時代に入っても、
たぶん私が受注する分野は、残るだろう。
娘が大学を卒業する2032年まで働かないといけない私は、
そんなことを思い浮かべながら、現実を必死に生きています。
 
そしてもう一つ。
ライターが誇れるものは、クオリティなんですが
(=納品する原稿の平均的な質が、まあ大丈夫なレベルという意味です)
それだけではありません。
ある程度訓練しないと難しい部分があります。
それは、じっと椅子に座って書きつづける原稿生産力です。

ブログを書いて生活されている方、SNSを仕事で受注している方を除き、
多くの方は、本業にプラスして無償で書かれています。
この場合、携われる時間も、書く文字数にも限りがありますから、
私のように、毎日何千、何万字も書くことはできないと思うんですね。
もちろん機械ではないので、ライターの生産力は日々バラツキがあるものですが、
とにかく決められた納期に向かって、粛々とキーボードを打ち、原稿を生産します。
こうした作業ができることこそ、
ライターが社会に必要とされる大事な能力ではないかと思うようになりました。
 
結論としては、『可能性はあるが、なんとか大丈夫では?』ということで
なんとも中途半端さが残りますが、
2013年現在ではこれが正しい解なのではないか、と思っているところです。
 
―残り6年と293日―