『40歳の壁』を書け上がる!~30代フリー書籍編集者小田の戦術ノート~

ライターの多くがぶつかる『40歳の壁』。ライターから書籍編集者へとシフトしながら壁を駆け(書け)上がる30代の生き様を綴ります。

自分がヘンだと思われない方法は?―『清洲会議』を読んで

まもなく映画で公開されますが、三谷幸喜著「清洲会議を読みました。
三谷さんの作品は
個性的な人物がたくさん登場する」というのが特徴だと思っていますが、
今回も期待をはるかに上回る、強い個性の登場人物によって
とっても笑える人間模様が描かれていると思います。
 
読了して考えたのが、
自分がヘンだと思われない方法があるか?」ということ。
自分なりの結論を綴っていきます。

 

清須会議 (幻冬舎文庫)

清須会議 (幻冬舎文庫)

 

◆自分と違う=ヘンなのか?

 
清洲会議で描かれる武将には、歴史の教科書に出てくるような偉人もいます。
でも、本では現代語訳で思いっきり人間臭さが際立つよう描かれていて、
客観視すると、どこかしらヘンな人間の集まりにも見えます。
 
さて、私たちは自分と違う価値観の人と出会った時、
「アイツ、変わってるなー」とか、「ヘンな奴だなあ」と思うものです。
別に悪意がある訳ではないのですが、
すぐ自分を基準として相手を量るのがクセなのかも知れませんね。
 
一方で「自分は正しい」という自信は強くないので、
すぐ他人と比べ、「自分はヘンだと思われてないか」と心配します。
もちろん、こんなことを書いている私もその一人です。
 
こうした考えが間違っているとか、
そんな事を考えること自体に問題があるとか、
いろんな事を言われそうですが、2013年時点の日本社会では
多くの人が、似たり寄ったりな感じで、ヘンだヘンだと言っている訳ですね。
 
 

◆短期的には「認める」こと。長期的には「変える」こと。

 
自分と他人を比べて、違えば「ヘンだ」と考えはじめると、
タイトルのような「自分がヘンだと思われない方法」なんて、なさそうですよね。
そう、それが現実で、
今の社会を覆して、「何がヘンで、何がヘンじゃないか」を決める事なんて、無理なんです。
 
だから、すぐにできることは
「自分もヘンだ」と認めることだと思うんですね。
 
話を清洲会議に戻すと、ストーリー中ではかなり人間臭いやり取りが続き、
いわゆる「ヘンな人間」ばかりにはなるんですが、
たとえ敵味方の仲であっても、他の良い所をみつけたり、
クセや性分として理解したりと、
互いに個性を認め合う雰囲気が、織田家の家臣たちの世界には醸成されていました。
 
私が思うのは、こうした半閉鎖的な社会においては、
ちょっとした常識やルールも、構成員によって変えられるということです。
織田家の場合も、もともと個性の強い人間が集っていたこと、
また、最も個性の強いお館様(=信長)が、能力を見抜いて登用し
作り上げてきた社会だったから、ともいえるでしょう。
 
これは現代も同じで、会社組織や特定のグループの内部、仲間うちなど
半閉鎖的な社会においては、
一人の発言や感情で、常識やルールは変えられると思います。
つまり、「自分と違うからヘンだ」ではなく、
「自分と違うけど、ああいう良いところもある奴」と考える雰囲気を
自ら、時間をかけて、作り上げることはできると思います。
 
社会全体を変えることは、容易ではないし、できる確率も少ない。
でも、自分の周りだけでも変えることができたなら、
きっと自分も、ほかの誰かにも生きやすい世界になるんだと思います。
そして、このアクションは誰かがやってくれるものではない。
気づいた自分がやるべきことなんだと思って、私もやっているところです。
 
―残り7年と29日―